お年寄りの患者さんが介護施設に入ったり、入院したりすると、だんだん読書をすることが億劫になってくると思います。特に販売している本は字が小さいですし、残念ながらデジタル化に取り残されてタブレットを器用に扱う事は難しいと思います。そうして読書から離れて行くことにより老いの進みも加速してしまいます。そんなお年寄りに大きな字で書いた簡単な読み物を届けられたらなと願っています。もちろん、個々、病状等により読書に対する力も違いますし、嗜好も違うので、どのようなものがいいのかは、少しずつ考えて改善していきたいと思います。
また、そのような患者さんと日々向き合っている介護スタッフの方々、看護婦の方々は、医療現場で多忙を極めていることと思います。年齢の違うお年寄りと接することで疲れもたまると思いますし、仕事の後も日常の生活があります。一瞬でも非日常に浸る時間を持ってもらえるように介護スタッフの方々、看護婦の方々向けの簡単な読み物を書いてみたいと思います。気に入ったら読んで心のマッサージをして頂くとともに、もし可能であれば、お年寄り向けの読み物をお勤めの関連施設でお年寄りにお渡し頂いて活用してもらえるとありがたいです。
こんな主旨でこのブログを始めたいと思っています。
September Sailing
Dionne Warwickの “That’s what friends are for”とともに
「きれいになったね」
「あなたも少し逞しくなったみたい。真っ黒ね」
「ああ、一日中車をみがいていたからね」
「車って、まだあの車に乗っているの?」
「そうだよ。もうそろそろ10万キロに到達しそうだよ。ちょっとオイル漏れがあるだけで、まだ元気なもんだよ。」
「セクシーな車だったわね。おしりが、つーんと上に持ち上がっていて」
「うん。君は後ろから見たスタイルが好きってよく言ってたよね。僕は正面左45度からがいいって 言い張ったけど」
「そうそう。二人で写真をとりあって、どっちが正しいか比べたりしたわね」
「なつかしいな」
冷えたグラスから水滴が流れ落ちテーブルに広がった。彼女は3杯目のギムレットを、僕はスロージンを数えきれないほど飲んでいる。酔っていないと言えば嘘になるが、酔っているというほど酔っていない。つまり、僕はめずらしく緊張しているようだ。
店の中からDionne Warwickの懐かしい曲が、このテラスにも流れてきている。
「私は6万キロまでの女だったな。私が知っているのは、あなたも、車もそこまで。そのあとは、あの髪の長い女の子にバトンタッチしちゃったもんね」
「そうは言うけど、君が去っていかなければ、僕はずっと君のところにいたよ」
「あなたが去っていったのよ」
「君から先にさよならを言ったんだよ。僕は本当に愛していたし、ずっと一緒にいたかったのに」
「ウソ、あなたは、私じゃなくて愛を愛していたのよ」
「なんだい、愛を愛してたって」
「私じゃなくても良かったの。恋愛ゲームができれば、それで良かったのよ。ご飯食べて、買い物して、ドライブして、セックスして、たまに嫉妬して。あなたは、そんな愛の形にあこがれていただけ。私である必要はなかったの」
「今、君が言ったことって、好きだから出来るんじゃない? 君の事を愛していたからこそ、君といたかったんだよ。少なくとも、君以外の女性とはそんな気分にならなかった。本当だよ」
「あの車の助手席に何人の女の子を乗せた? 私のこと愛してるなんてウソつき」
「そんなにからむなよ。君のことを忘れるために、ずいぶん他の人を愛そうとしたことは事実だったけど」
「それで愛せたの?」
「だめだった」
湿った風が、夏の緑の香をこのテラスに運んでいる。彼女の短めの髪が揺れ、あらわになった額が一瞬彼女を少女に戻した。クリっとした瞳は愛らしかった。
彼女は、ピンクのシガレットケースからロングサイズのメンソールの煙草を抜き取ると、うすい口紅が塗られた唇にはさんだ。その唇がたまらなく、かわいいように感じた。
「私、本当にきれいになった?」
「ああ、本当だよ」
「今も愛してくれる?」
「もちろん」
「じゃ、キスして」
「えっ、こんなところで」
「そう、こんなところで」
「酔ってるの?」
「酔ってなんかいない。あなたのことを試したいの」
「そんな事じゃ試せないよ」
「ううん。試せるわ。あなたとここでキスをすれば、あなたが何人の女の子をあの車に乗せたか、わかるの。私専用の場所だったあのシートに」
「嫉妬してくれてるの?」
「ええ。でも誤解しないで。あたなに嫉妬しているんじゃなくて、あのセクシーな車に嫉妬しているのよ。私のシートが他の女の子に占領されたのが悲しいの」
「それを聞いて悲しいのは僕だよ。君は僕よりもあの車を愛していたんだね」
「ちょっと違うわ。あなたが愛した車だったから、私はあの車を愛したの。今あの車を愛おしく思うのは、あなたと私の思い出を運んでくれるから。比べるような問題じゃないわ」
「うーん、わかるようなわからないような説明だな」
「ふふ。そうやって素直に考え込むところは、全然変わっていないわね」
「僕は、僕のままだよ。まだ君のことを愛してる」
「私もあなたのこと好きよ」
レストランのウェーターが、テーブルの上のランプに火をともした。彼女の頬が少し赤く染まったように見えたが、ゆらゆらと揺れる炎のせいか、ギムレットのせいかはわからない。とにかく、彼女はとても愛らしい。
まだ街にガス灯がともっていた頃が、東京の一番ロマンチックな時だったのではないだろうか。
「やり直さないか? いや、僕と付き合ってきれないか」
「なぜ?」
「なぜって、、、君が好きだから」
「ううん。なんで突然そんな事言うの?」
「言うつもりで君を誘ったんだよ」
「そんなこと一方的に言われたって困るわ」
「君は、まだ僕のことを好きでいてくれている?」
「好きだけど、たぶん愛してはいないわ」
「これから愛してくれればいい」
「他につきあっている人がいても?」
「いるのかい?」
「さあ、どうでしょ。それより、あなたも彼女いるでしょ」
「いるような、いないような。それに、それは関係ないと思う」
「ずるいのね」
「しょうがないよ。気持ちに正直に生きていたいんだ」
「あなたは、まったく同じことを言って彼女のところに戻っていくわ。きっと。私はまた一人っきりになる」
「10万キロ以降は、ずっと君といたいと思っている」
「突然一人っきりになったら、私未婚のまま、おばあさんになっちゃうわ」
「結構したいのかい?」
「いつかはしたいわね。おばあちゃんになる前に」
夜が更けてゆくというのに、このレストランへの客足は衰えない。
テラスのあちらこちらから笑い声がこだましている。店の半分以上は外国人客に占領されているせいか、英語やフランス語が飛び交っている。
ジンからバーボンの水割りに切り換えるなら、今頃かなと思う。
「とにかく、僕は君が好きだ。君に愛されたい」
「ふふ。駄々っ子みたい」
「ああ、君の前では、そんなもんだよ。大人じゃなくなる」
「私があなたを愛すれば愛するほど、別れがつらくなることわかるでしょ。私は、本当は、、、今、心がすごく乱れているの。何も考えず、あなたの胸に飛び込んでいきたい気持ちがないと言えば嘘になる。でも、、、別れがきて、、、そう、別れがくることはわかっているでしょ。その時苦しむのは私なの。だから付き合おうなんて言わないで。友達でいましょ」
「別れる事がつらいのはわかる。でも、好きなのに、愛しているのに友達でいることはもっとつらい。実際、今、僕はとてもつらい。もし、一瞬一瞬がとても楽しくて、有意義だったら、たとえ別れなければならない日が一年後に来たとしても、それが他の恋人たちの十年に匹敵するかもしれないよ。僕は気持ちのまま行動したい。君に他の人がいるなら奪い取ってでも君が欲しい。それに、君と別れるつもりはないよ」
「強引ね。運命にはさからえないのよ」
「これが運命かもしれないよ」
「違うわ。あなたは、過去に一人の女性を選んだ。それがあなたの運命なのよ」
「それは、過去の運命であって、未来の運命は自分で決めて自分で切り開くものだよ」
「過去を否定することであっても?」
「ああ」
「友達でいましょ」
「ちょっとこっちにきて」
「えっ、あっ、、、」
彼女の唇は甘かった。水割りのせいで冷えた下がだんだん暖かくなってくる。
目をつむったままずいぶんと長い間キスを続けた。僕も彼女のテラスにいることを忘れるほど長く。テーブルごしに彼女の肩を引き寄せキスをした。彼女の涙だろう、二人の口に流れこんで甘かった唇がしょっぱくなっった。もう片方の手は、彼女の左手を握り、彼女の暖かい血液が僕に流れ込んでくるような一体感を覚えた。
「本当にずるい。突然キスするなんて。周りの人が見てるわよ」
「君がさっきしてくれって言ったじゃないか。もう乗船前の話はよそう。船に乗ってみよう」
「船って?」
「世界一周の船旅はいつか港に戻って終わるけど、その時の空虚感を乗船前から想像して躊躇する人はいないでしょ」
「昔より口がうまくなったんじゃない?でも、その船旅にむしろあなた以外の人と行きたいっていったらどうする?」
「旅は、世界で一番君のことを愛している人と行くものだよ」
「誰が私のことを一番愛してくれるんだろ」
「ずっと一緒にいよう」
「えっ」
「今日が出航だよ」
「駄目。無理よ」
夜の東京では星は見えない。恋人たちが帰っていったあとのテラスはランプの灯だけが夏の風に揺れ続けている。グラスに残ったバーボンが光に反射し、きらめいている。バーテンたちが、それらの恋人たちの語らいの演出品をひとつひとつ取り去っていく。明日また別の恋人たちを待つために、演出品たちもゆっくりと眠ろうとしている。愛し、愛されという単純な日常のために幾千の会話が生まれ、幾千の表情が生まれたか、彼らは良く知っている。本気で愛している者は、美しいということも知っているはずである。
夜の東京では星は見えない。でも暗闇は、いつしか朝を連れてくる。
「起きた?」
「ああ。今目が覚めたよ」
「朝まで一緒だったね」
「うん。起きて何か食べにいこうか?」
「待って。もう少しこのままでいて」
「うん」
「船、、、でたのかな」
「でたよ」
「ずっと愛してくれる?」
「君が愛してくれるまで愛する」
「私が愛するまで? 私が愛したら?」
「たくさん愛する」
「じゃ、たくさん愛して。そして船を停めないで」
窓から強烈な朝の光が差し込んでいる。
ドレッサーの上に置かれた彼女の指輪に光が反射して部屋一面に光の束が走っている。
恋人たちの朝がやってきた。今、彼女と僕は幸せの航海にでた。
そして、僕の車もお気に入りの彼女が助手席に戻ってきてくれたことで、たいそうご機嫌だということも伝えておこう。
(音楽)ここでDionne Warwickの “That’s what friends are for” を聴くのがお薦めです!
End
患者さん向け大きな字の本は、下記PDFのようなものです。とりあえず、可能であれば、ご活用ください。できれば毎週一つ作りたいなと思っています。
お仕事でプレゼン資料サポートが必要な方は下記ご参照ください。
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