今日は小説「愛しき人へ」です。 この小説の最初の音楽は、キャノンボール アダレイ(Cannonball Adderley)のアルバム 「Something Else」。 特に有名な「枯葉」の、このジャズバージョンは最高です。冬の夜、グラス片手にこのアルバムを一人で聞くと、どこか一人で旅行をしているような気分を味わえます。
それでは、「愛しき人へ」 1 をお楽しみください。最後に置いた今週の大きな字の読み物もお年寄りの方々にご活用くださいね。

前半の音楽は、Cannonball Adderleyの Something Else 是非「枯葉」を聞いてみてください。

5年前の夏、東関東自動車道。浦安をぬけたあたりだろうか、風が強くなってきた。フロントガラスに刻まれた空気の衝撃がハンドルに伝わって感じられる。カーブにさしかかるとブルーの車体がぐらっと揺れ、かすかにロールする。140キロで甲高いエンジン音を鳴らしながら全力疾走するこのフランス車を後ろから来たドイツ車が一瞬のうちに抜き去っていった。このあたりが限界かなと思いながらもアクセルを緩める気にはならない。ラジオからはキャノンボール アダレーのサックスが流れている。昼間にジャズもなかなかいいもんだ。右手を伸ばしてボリュームをあげた。
フランス人は車という空間の中においては、時間というものの存在を否定しているのだろうか。この車の時計は控えめで隠れるように取り付けられている。たった一度の人生を時間に振り回されるような馬鹿な真似はしない、という強いポリシーのあらわれかもしれない。時間を大切にという根本の思想は、たぶん日本もフランスも同じであろうが、時間に振り回されることが美徳になっている日本に比べると、フランス人にとっての時間は人生の喜びを得るための道具として位置づけられているように思う。
その時計の華奢なオレンジ色の針が正午をさしている。フライトまであと3時間。別段急ぐ必要は何もないのにスピードメーターは140キロをさしたまま全く動かない。強い風に追い立てられるように空港へ向かっている。何も急ぐ必要はない。むしろ、急がない方がいい。これがこの車との最後のドライブなのだから。そして彼女にはもう会えないかもしれないのだから。助手席にぽつんと置かれた犬のぬいぐるみに手を置く。いつもは彼女の温かい手があるはずのその場所には、今はもう誰もいない。本当に彼女を忘れていいのだろうか、いや、彼女を忘れられるのだろうか。高速道路脇の緑が、やけにまぶしく夏の日差しにきらめいている。薄いTシャツの肩のあたりに鼻先を近づけると、ほのかに彼女の淡い香りがした。昨夜、都心のホテルでの彼女とのひとときの苦い余韻が心の片隅に今も残っていた。
「本当に行くのね」
「ああ、行ってくる。ハリウッドで映画作りに参加する。これがずっと僕の夢だったからね」
「夢か、いいわね。男の人って」
「君だって夢をもってたじゃない。だから今の君がいる。。。もうステージライトや観客の拍手を浴びてる。。。夢が現実になったんじゃない? 僕は、まだ夢の現実の一歩目ってとこかな」
「ううん、違うの。夢を言葉で表現できることが羨ましいの。私には、堂々と人に話せるだけの重みがないもの。それは男の人だけの特権よ。女はだめ。女が夢を語ってもそれほど絵にならないわ。それに女の夢は変わっていく。生涯の夢なんて女には望めない。」
「そうかな。そんなこというと真面目に自分の夢を持って努力している女性たちに怒られちゃうよ。そんな人もたくさんいると思うけどな。逆に男だって努力もせずに女の子の前で、できもしない夢ばかり語っているやつもたくさんいるからね。本当は夢なんて心の中にじっとしまっておく物なのかもしれない。」
「うん。そうかもしれないわね、、、でも、じっとしまっておくと壊れちゃう夢もあるのよ」
「えっ、どういうこと?」
「私は、ずっとあなたのお嫁さんになりたかったわ。それが私のこれまでの夢だった。それを伝えたかったけど、伝える前に壊れちゃったの。それに今の夢はあなたとこのまま一緒にいたい、っていうこと。だけど、その夢は簡単に崩れるわ。明日の朝あなたが空港へ向かったときにね」
彼女はさっと立ち上がってベッドに倒れこむように転がった。白いTシャツが少しまくれあがり健康的な褐色の肌がまぶしかった。洗ったばかりの髪を枕におしつけ僕の反応を伺うように深いまなざしを向けた。まるで猫のような表情で僕を見つめている。僕はグラスに残ったワインを一息に飲み干していった。
「愛しき人」 2 へ続く
ご老人に字を読む機会を増やしたいので、大きな字の読み物ご活用ください。
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