新年がはじまり、早くも1月中旬です。コロナが猛威を振るい大変なことになってますが、皆さん、くれぐれもお体ご自愛ください。コロナに関しては、政府の対応とか、マスコミの報道とか問題多いなあと考えさせられるこの頃です。コロナ問題も含めて自由と統制、民主主義を考えさせられるニュースも多いですね。
今回は、マシュマロ君シリーズ「手紙」の前編です。音楽は、クルセイダーズ (Crusaders) のアルバム 「Rhapsody AND Blues」から、Bill Withers の歌声が渋い「Soul Shadows」とJoe Sampleのピアノが心にしみる「Rhapsody AND Blues」をご紹介します。Youtubeで、アルバムやライブ録画が聴けますので是非聴いてみてください。この2曲は、イヤホンをして、大きな音量で、部屋を真っ暗にして音楽に没入して聞くことをお薦めします。
文末の”ご老人向け大きな字の読み物”もご活用ください。あと、プレゼンのサポートも充実しています。お悩みの時は、末尾のサイトまでご相談ください。
東京の小さな町の雑貨屋さん。
薄いブルーの石鹸や、取っ手がピンクのフライパンの横にはクマが描かれたブルーのタオルが雑然と並んでいる。
部屋の奥に入ると、庭に面した大きなガラス窓があって、その向こうには、緑あふれる庭が見える。その手前にある,
木でできた小さな低いグリーンのテーブルをはさんで、可愛らしい赤いソファと黄色いソファが向かい合って置かれている。部屋全体が暖かいフレンチカントリーで統一されていて、落ち着いた家具や置物があちらこちらに並んでいる。部屋の先にはもう二つほどテーブルがあって、木で作られた ちょっとしたおもちゃのゲームが置かれている。
パリにいるような気分にさせてくれるこのお店では、エマおばさんが、香りのいいコーヒーと絶品のサンドウィッチをサーブしてくれる。おばさんの本当の名前は恵美さんだけど、
お店の雰囲気からフランス人の名前のほうがしっくりいくので、みんなエマおばさんと呼んでいる。
お店のメニューには、お酒も何種類か載せている。特に、
エマおばさんの作るブラディーマリーが大人気。ウォッカとトマトジュースやレモンの配分が素晴らしくて胡椒やタバスコに加えて隠し味でジンジャーと山椒が入っているらしい。すごく上手に仕上げられていて一度飲んだ人は、次も必ずオーダーする一品らしい。
僕たちのいる木箱も、テーブルの近くにある日差しの比較的いい場所に置かれているんだ。木箱に高く積まれたマシュマロの袋を、さっき赤いマフラーを巻いた可愛らしい女の子が持ち上げた。マシュマロの袋は持ち上げるたびに袋がクシャクシャになるし、乱暴につかまれるとつぶれちゃうけど、さっきの赤いマフラーの女の子は優しく持ち上げてくれてホッとしたよ。
そう。僕は、この袋の中のマシュマロ。名前なんてないけど、男なのでマシュマロ君かな。他のマシュマロが僕くらい意識があるかはわからない。少なくとも左隣りのマシュマロも右隣のマシュマロも全然反応しないからね。少し寂しいけど、僕はこのお店のお客さんを眺めているだけで楽しいよ。
このお店にはいろいろな人がやってくる。そして、それぞれが物語を持っている。
今日は朝からずっと雨。夕方になって少し小降りになってきたけど、秋の雨は冷たくて、街を行き交う人々は厚手のジャケットに身をつつんで足早に歩いていた。
こんな日は、お客さんは少なくて今、お店には、男の人ひとりだけ。オーダーをとりにきたエマおばさんと話しをしている。
少ししてドアが開き、水色のワンピースを着た女性がお店に入ってきた。一瞬、都会にいたんだってことを思い出させる雑踏の音と雨と落ち葉の匂いが入ってきた。女性は、誰かを探している様子で、お店を一回りすると、奥のテーブルに座っている男の人しかいないことを見て、少し離れたテーブル席に座った。
ほどなく、エマおばさんがメニューを持っていった。
おばさんの今日のエプロンは、白と水色のストライブで、胸元にひらひらした布地がついている。おばさんは、年をとって体は少し丸みを帯びてきたけど、明るくて笑顔が若々しい。
「いらっしゃいませ。メニューどうぞ。外寒かったでしょ」
「ありがとうございます」女性は、一度、あらためて店を見回してからメニューに目を落とした。
「この、今日のスープ、、、今日は何のスープですか?」
「今日は、ビスク。おいしいですよ」
「ビスクって、エビとかの?」
「そう。おいしいクリームスープですよ。外寒いからちょうどいいんじゃないかしら?」
「じゃ、それ、お願いします。あとペリエをお願いします」
「はい。少々お待ちくださいね」
エマおばさんが、厨房に行くと、女性は、カバンから手帳をだして、待ち合わせの時間を再度確認した。
まだ約束の15分前だ。先にスープなんか頼んじゃったけど良かったかしら。でも、おなかすいちゃったから、許してもらっちゃお。10分もあれば、飲み終えるだろうし。もし、泣かれちゃったりしたら、何も食べられなくなっちゃうし。
それにしても、ミーコおばあちゃんの彼氏ってどんなおじいちゃんかしら。頼まれたとはいえ、今日の任務はつらいな。ミーコおばあちゃんが亡くなったこと伝えたら、おじいちゃん、気落ちするだろうしな。私でさえ、一週間、夜一人になると、ずっと泣いちゃってたわけだから。。。静かに受け入れてくれるおじいちゃんだといいけど。
「はい。お待たせしました。どうぞ」エマおばさんが来て、ビスクとペリエ、それにきれいにスライスされたフランスパンをテーブルに並べた。
「ありがとうございます。美味しそう」
「美味しいわよ。ゆっくりしていってね」
「はい。頂きます!」
ビスクからプーンと海の香りがやってくる。なんとなく懐かしい香り。スプーンですくって一口飲んでみる。
ん、、ほんとに美味しい。びっくり。濃厚だけど、くどくない。美味しさが全部詰まってる。すごく温かい味だ。
顔をあげて、遠くにいるエマおばさんを見ると、エマおばさんが指でVサインを送ってきた。私もVで応える。
すごくおいしい。重たい任務の前に少し心が軽くなった。
ビスクはとってもおいしくて、おじいちゃんが来る前までに飲み終えた。ただ、待ち合わせ時間になっても、おじいちゃんが現れない。
5分すぎたけど、まだ現れない。どうしたんだろう。お店を見回すけど、やっぱりいない。10分すぎたあたりで心配になってきた。
お店に一人だけ座ってた男性客が席を立った。あの人が帰るとお店には私一人だけになる。おじいちゃんへは、お会いしたいと手紙を出し、おじいちゃんから手紙で、このお店を指定してきた。なので,電話とかわからないから連絡もできない。でも、おじいちゃん、なかなかいい店知っている。店に来るまでは全然想像していなかったけど、こんな雰囲気のいい、美味しいスープを出すお店で待ち合わせをするなんて、一気に頭の中に、ロマンスグレーで、ベストの上に渋い色のジャケットを着たクリントイーストウッド似の老紳士が作りだされた。
それにしても、手紙を出した時に、ミーコおばあちゃんが亡くなったことを書いておけば良かった。そうすれば、ここで会ってそれを伝えなければいけないことを、こんなにも気に病むことはなかったのに。
ミーコおばあちゃんは、お亡くなりになる数週間前に、最後の手紙を私に託して言った。
「いつも、手紙を出してきてくれて、ありがとう。これ、たぶん最後の手紙。最後のお願いだけど聞いてきれる?」
「何が最後のお願いですか、お願いがあったら、いつでも、なんでも言ってくださいね。あと何度でも聞きますよ!」
「ありがとう。ミコちゃんには、本当にお世話になっちゃったわね。お願いなんだけど、、、この手紙、、、、今回だけポストじゃなくて、この人に直接渡してくれないかしら。急がないので、あなたの時間が空いた時いつでもいいから」
「え? 直接ですか、、、いいですけど、、、今回はなんで郵送じゃないんですか?」
「彼が元気なのか、見てきて欲しいの。ずっと会ってないから」
「二か月か三か月ごとに、この人からのお手紙も届いてるみたいですけど、相手の方、健康状態とか悪そうなんですか?」
「特に調子が悪いとかって書かれてはいないけど、やっぱり手紙じゃ良くわからないから。本当だったら、病院に来てもらいたいけど、今、コロナで会えないでしょ。だから、届けて会ってきてほしいの」
「そうですか。わかりました。おまかせあれ! で、この手紙の人、、、えっと、立木祐輔さん、、って親戚の方ですか?どんな人ですか?」
「私の彼氏」
「え、ミーコおばあちゃんの彼氏?」
「ふふ、うん、彼氏。もっと大切かもしれない」
「だんなさん、、じゃないですよね」
「違うわよ。だんなとは別れてから音信不通だもの」
「あ、そうでしたか。ごめんなさい」
「いいのよ。もう昔の話。じゃ、すまないけど、お願いできるかしら」
「はい。連絡先、、電話番号とか教えてもらえます?」
「電話番号はわからないの。すまないけど、手紙を書いて連絡取り合ってみてくれる?」
「え、手紙ですか。この住所に出せばいいんですね。わかりました。やってみます。でも、私が手紙出して返事来るかな」
「大丈夫よ 絶対返事来るわ」
「はい。ミーコおばあちゃんの彼氏に手紙出して待ち合わせするなんて、なんかドキドキするな」
「私も自分が会いに行くようで、すごく楽しみ。最後のお願い聞いてもらって、ほっとした」
「最後なんて、言わないでくださいって言ったでしょ!私はいつもいますから」
「はい。はい。ありがとうね」
そんな会話をして、すぐに立木祐輔さんに手紙を出してみた。返事が来て何回かの手紙のやり取りでやっと今日会えることになった。でも、手紙を受け取って以降、ミーコおばあちゃんの病状が急速に悪化して、ついこの間お亡くなりになってしまった。とても唐突な死だった。
介護の仕事をしていると、こういうことに遭遇することも良くあるけれど、私にとってミーコおばあちゃんは特別な人だった。高校の時に母親を亡くしてお父さんと二人で暮らすようになって、家では、ずっと話し相手がいなかった。お父さんはいい人だけど、仕事が忙しいし、やっぱり男の人なので、女同士の会話ができない。友達がお母さんと話しているのが羨ましかった。そして、やっぱり、お母さんを失ったことを少し、いや、かなり恨んでた。決して、お父さんのせいではないけど、もう少し仕事を休んでお母さんの看病をしてくれれば、お母さん助かったんじゃないか、なんて勝手に思っていた。だから、お父さんが許せなくて、家にいてもずっと避けて暮らしていた。そういう自分が間違っていたことに気づかしてくれたのは、ミーコおばあちゃんだった。
大学出て看護の仕事につこうかと思ったけど、患者さんと長い時間一緒にいれる介護の仕事の方を選んだ。そして二年近く前に、患者さんとしてミーコおばあちゃんが入院してきて、面倒を見るようになった。面倒を見るというよりは、逆に、すごく面倒をみてもらったと思う。いろんな話しをしたし、いろんなことを教えてもらったように思う。母親がいなくなってから、家の中は暗く、楽しくお話しをする雰囲気じゃなくて、ピーンと張った糸の上で生活しているような感覚だった。ミーコおばあちゃんに会って、はじめて人の温かさを感じたような気がした。ミーコおばあちゃんが自分の本当のおばあちゃんのようにも、自分のお母さんのようにも感じた。父親を受け入れられなくなった私の心を少しずつ解きほぐしてくれた。ミーコおばあちゃんは、自分のことはあまり語らなかったけどミーコおばあちゃん自身の離婚経験もあってか、私を孫のようにかわいがってくれたんだと思う。あー、ミーコおばあちゃんが彼氏っていうおじいちゃんに会ったら、なんだか私が泣いてしまいそう。でも、しっかり託された仕事をしなくちゃ。
それにしても、おじいちゃん遅いな。おいしいビスクも、
もう飲み干しちゃった。
「もしかして、森山恵美子さんですか?」
声がしてふっと見上げると、さっき席を立ち上がった男の人が近くまで来ていた。若くて背の高い男の人だった。
「え、はい。森山です。もしかして、立木さんですか?」
「はい。立木です。はじめまして」
若くて背が高いだけじゃない。テレビから出てきたような整った顔立ち、、、え、おじいちゃんじゃないの?、、、ミーコおばあちゃん、、、なんで若い人なのよ、、、
「あっ、はじめまして。すみません、私がお店についてからずっといらっしゃってましたよね。私、年配の方がお店に入ってくると思ってて、ずっと、お待たせしちゃいました」
「いや、こちらこそ、すみませんでした。奥の席に座っていて、もしかしたら森山さんかなと思ったんですけど、なんか違う人をお待ちだったような感じだったんで、ちょっと恥ずかしくて声かけるのが遅れてしまいました。」
確かに、この人の事は、最初ちらっと見て、ずっとスルーしてしまっていた。こんな端正な顔の人だっていうことも、今はじめて認識した。
「いえ、私の方こそ、すみません」
「こっちのテーブルに移ってきていいですか?」
「はい」
立木さんは、自分のいたテーブルに戻り、お店のおばさんにテーブルを移動することを話しているようだ。すぐに、荷物を持ってやってきて、向かいの席に座った。
「あらためまして。立木です。連絡どうもありがとうございました」
「いえ、手紙にも書きましたが、山口美恵子さんから、頼まれて連絡さしあげました。介護士をしている森山恵美子です。今日は、美恵子さんから手紙を預かってきました。」
「今回は、郵送されなかったんですね」
「はい。あの、実は、、」
私がちょっと躊躇ったところで、立木さんが口をはさんだ。
「あ、ちょっと待って。今日は、お時間あります?少し長めにお付き合いしてもらってもいいですか」
「え? はい。このあとは、帰るだけですから」
「じゃ、少しお酒飲みませんか? あのエマおばさんの作るブラッディーマリー、すごく美味しいんですよ それに、、、」
「それに?」
「郵送じゃないってことは、話しをお伺いする前に、心の準備が必要そうなんで、、、、、ですよね」
立木さんは、手をあげてエマおばさんを呼んだ。あのストライブのエプロンの人は、エマおばさんっていうんだ。なんか、ぴったり。
エマおばさんは、すぐに、笑顔でやってきた。
「お知り合いだったのね。やっぱり美男美女は一緒にいるほうが絵になるわね」
「手紙ではやりとりしたけど、今日初めて会ったんです」
「あら、手紙なんて古風でいいわね。祐輔君にぴったり」
「そうですか?僕だって、まだ若いですよ。えーと、僕はブラッディーマリーください。森山さんは、何にします?」
「私もブラッディーマリーお願いします。ビスク、すごくおいしかったです。温まりました。ありがとうございました」
「良かった。美味しいもの作りますから、いつでも来てくださいね。」
「はい。是非!」
エマおばさんが厨房に入っていった。その間、立木さんは、もう少し詳しい自己紹介をした。都内の映像制作会社で映像制作の仕事をしいているらしい。私も生まれた町の紹介などをした。
ほどなくして、ブラディーマリーが運ばれてきた。クリスマスの飾りの一部のような綺麗なブラディーマリーだった。
「それじゃ、あらためて」
立木さんのグラスと私のグラスを合わせると、パチッという音がした。一口飲むと、ほんとに美味しいカクテルだということがわかった。お店には、私達しかいない。お店にあるあらゆるものが柔らかいライトを吸収して息をしているように感じた。さあ、言わなくちゃ
「実は、美恵子さんがお亡くなりになったんです。お亡くなりになる前に、立木さんに連絡をとって、最後の手紙を届けるように言われました。」
立木さんは、何も言わずグラスを見つめている。両方の指をからめ、きつく握りしめて動かない。指先が赤くなってきているので、かなり強く握っているんだろう。一分ほどして、
がくっと頭を下げたあと、ゆっくり顔をあげ、吸い込まれるような瞳で私を見た。
「ありがとうございます。お亡くなりになったんですね」
「はい」
「美恵子さんは長く入院してたんですか?」
「だいたい、二年くらいです」
「そんな長く、、、まったく知りませんでした。なんの病気だったんですか?」
「最初は脳梗塞で運ばれてきて、すっかり良くなってリハビリをしていたんですけど、今年に入って、肺の機能が悪くなっていって、急にお亡くなりになりました。全然元気そうだったんですけど、突然に。でも、今回の事、最後のお願いとか言っていたので、本人は体の変化に気づいていたのかもしれません」
「森山さんは、ずっと担当だったんですか?」
「はい。ミーコおばあちゃんが入院してから、ずっと、、、ずっと一緒でした」
「ミーコおばあちゃん? 美恵子さんがおばあちゃん? 何歳だったんですか?」
「80歳になったばかりです。80歳といえば、まだまだ、
お若いですし、ミーコおばあちゃんは、特に若々しくて、痴ほう症なんて全然無い人でした。死んじゃったのがすごく 不思議です。」
「そうだったんだ、、、やっぱり、そうだったんだ、、、」立木さんは、そうつぶやいて、またグラスを見つめて、何か考えこむように動かなくなった。
少しすると、また話し始めた。とても優しい声だった。
「そうですか。美恵子さんは、おばあちゃんだったんですね」
「え? おばあちゃんですよ。 もしかして、ご存知なかったってことですか」
「はい。正確には知りませんでした。」
「どういうことですか? 文通してたじゃないですか。 お知り合いじゃなかったんですか?」
「いや。知り合いといえば知り合いです。ただ、手紙の相手は、高校時代、仲良かった友達のお姉さんだと思っていました。お姉さんと言って、手紙をもらうようになりましたから。でも、途中から少しおかしいなとは思っていました。美恵子さんは、真理恵のおばあさんだったんですね。」
「真理恵さん?」
「あ、それが、高校の時に仲良かった友達です。手紙は、森山さんが毎回美恵子さんから受け取って送ってくれてたんですか?」
「はい。毎週一回カギを借りてミーコおばあちゃんの家に行って郵便物をとってきて、病院のミーコおばあちゃんに渡すんです。ミーコおばあちゃんが返事を書くと、私に渡されて切ってを貼ってポストに出してました。」
「そうですか、、、、いつも、ありがとうございました。」
立木さんは、そう言うとグラスの水滴をなぞって指で流し、
また何か考えるように長い間水滴の行方を目でおっていた。
スピーカーから音楽が流れていることに、今まで気づかなかった。エマおばさん、音量をあげたのかしら。空気の流れが止まって、音楽がこの空間を包み込んでいるような気がする。
曲が変わった。あ、これパパが聴いていた曲だ。曲名も、歌手も思い出せないけど、なんだか懐かしい。ママが亡くなってから、夜、パパ一人でお酒を飲みながら音楽を聴いていた。良くこの曲を聴いていた。あの頃、パパを避けてたけから一緒に聴いたことはないけど、一度だけ、私が夜中に階段を降りると、パパが酔いつぶれてソファで寝ちゃってたことがあった。近くにいったら、寝ているパパの顔に涙の痕がついていた。その時もこの曲がかかっていたと思う。
「立木さん、この音楽ご存知ですか?」
あ、私唐突に何聞いてるんだろ。ミーコおばあちゃんの話しの途中なのに、、、
立木さんは、すごく自然に、落ち着いて答えてくれた。
「あ、これ、CrusadersのSoul Shadows。ボーカルは
Bill Withers。森山さん、こういうの好きですか? これ僕大好きな曲です。エマおばさんのかける音楽、結構、僕が好きな音楽とかぶってるんです」
「あ、思い出した! 家のCrusadersのレコードが何枚かありました。父が好きだったんです」
「こういう曲好きなお父さんっていいな」
「今になると、父のことがなんとなくわかります。こういう音楽を聴いていたっていうのも。でも当時は父を嫌ってたので、父のレコードとか全然興味なかったし、話しもしませんでした」
「思春期の女の子とお父さんって、どこもそんなもんなんですよね。僕には姉妹がいないからわからないけど」
「私の場合、高校の時にお母さんが死んじゃって、それから、お父さんとの関係もぎくしゃくしちゃったんです」
あ、私、何言ってるんだろ。初めて会った人にパパやママの事話すなんて、、
「あ、ごめんなさい。そうだったんだ」
「全然大丈夫ですよ。今は父と、そこそこいい関係ですし」
「良かった。お父さんとの関係が改善されたんなら良かったね」
「あの頃は、父の仕事が忙しくて、母が入院しても、あまり顔をださなかったことを私が勝手に恨んじゃったんです。でも、ミーコおばあちゃんに、それが夫婦で同意したやり方だったのかもしれないってよって言われて、なんとなく思い出してみると、私の知らない二人の世界があったんだろうなって、ミーコおばあちゃんと話していたら、それらしい事も思い出して、反省しちゃいました」
「そうなんだ。美恵子さん、すごいな。彼女は、僕のことも励ましてくれていたんですよ。僕の父と母はずっと関係が悪くて、父、母とも、僕が高校の頃からずっと別々の国で別々の仕事をして暮らしています。誰と一緒にどう暮らしているかもわからない。でも、なぜか離婚はしていないんです。」
「それじゃ、立木さんは、高校から一人で?」
「はい。生活費や学費は振り込んでくれるので、問題なかったですけど」
「寂しくはなかったんですか?」
「家族にあこがれた時期はあったけど、あまり考えないようになりました。たぶん、感情という物がなくなったというか
感情という物から出る線を全部切っちゃった感じで、高校、大学を過ごしました。たぶん、僕も美恵子さんとの文通で少しはまともになってきたのかもしれません。あ、ごめんなさい。初対面の人にこんな話しして」
「あ、私も、自分でお父さんのこと話して同じこと思いました」
立木さんが初めて笑った。素敵な笑顔が現れた。
「でも、ミーコおばあちゃんは、なんで孫の真理恵さんのお姉さんと偽って立木さんに手紙なんて書いたのかしら」
「それは、良くわからないけど、たぶん、真理恵が死んで落ち込んでる僕を元気づけようとしてくれたのかなって思います。ただ、初めて手紙が来たのは、真理恵が死んでから5年以上たってだから、やっぱり不思議だなー」
「え、真理恵さんってお亡くなりになったんですか」
立木さんは、勢いよくブラッディーマリーを飲み干すと
話しはじめた。私に向かってというより、どこか遠くに向かって語りかけているように感じた。
「実は、高校3年生の秋に真理恵が事故で突然死んだんです。真理恵は、美恵子さんの孫です。高校時代、僕は野球部にいて、彼女は一学年下で、野球部のマネージャーでした。毎日ずっと一緒だったし、なんとなく話しが合って、いわゆる幼馴染のような感じの仲良しだったかなって思います。恋愛関係ではなくて、野球部の仲間としての付き合いでした。当時二人とも家の事がうまくいってなくて、似たもの同志なんだっていうことがわかってから、練習のあとに河原とかに行ってよく話しをしていました。そういう意味では、仲間であり、特別な人でした。あの頃、真理恵の家は、離婚してお母さんが出て行ってしまったんです。
真理恵のお姉さんは、真理恵と年子で僕と同学年だったので存在は知っていましたが、ただ話したことはなかったので、美恵子さんから、真理恵のお姉さんということで手紙をもらっても、お姉さんと違う名前だってわかりませんでした。
手紙をもらったのは、真理恵が死んで5年くらいしてからだったと思います。でも、なんで、真理恵のおばあちゃんが、お姉さんのふりをして手紙をくれたのかは、わからないです。
真理恵のおばあちゃんとは、真理恵の家で何度か会ったことがあるので、おばあちゃんの事も知っています。真理恵は、おばあちゃんのことが大好きだったみたいで、僕の事や僕の家のこともおばあちゃんには話していたようです。真理恵がいない時に、一度だけ、おばあちゃんと二人で長く話しこんだことがありました。なんだか、おばあちゃんに乗せられてというか、甘えちゃって、うちの家族が崩壊していることとか、自分は誰とも関わりたくないとか、そういう話しをしてしまった事を覚えています。
あの時、おばあちゃんは、人はそれぞれが存在しているってことが一番大事だって。存在していれば、線がつながってて、線がつながっていれば、未来に何が起こるかわからない。それが楽しみだし、それを希望っていうんだって話してくれました。だから、まずは、自分の存在を大切にして、今の人生を大事に生きなさい。人との関係は、見えない線がちゃんと結ばれていますよ。おばあちゃんから、そんなことを言われたことを覚えています。」
そう言うと立木さんは裏庭に目をやった。黄金色のランプの光が、すっかり暗くなった裏庭の緑を照らしている。庭の緑が深く、東京というより軽井沢にいるような感じがする。
「そうだったんですか。ミーコおばあちゃんらしいな。
私もそう思うな。私は母と死別して、母親の存在がなくなっちゃったから。やっぱり、どうあれ、存在していてほしかったな」
「ただ、僕はまだきちんと納得しきれてなかったんです、、例えば、昔戦争だったころ、だんなさんが戦争に行く朝、奥さんが送りだすじゃないですか。それで次の日から、いつ帰ってくるかわからない夫を毎日待つわけですよね。終戦になっても、まだ帰ってこない。毎日、玄関を振り返る。それって、気の遠くなるような忍耐だと思うんです。
帰ってこないことが分かった方が、次に進めると思うんです。だから中途半端な存在は、よけい人を苦しめるんじゃないかなって思っちゃうんです。」
「ミーコおばあちゃんや真理恵さんの両親のように離婚したり、私の母親のように死別したりするほうが、立木さんの家族のような状況より望ましいってことですか?」
「いや、どっちがいいというわけではないけど、みんな前に向いて歩けているような気がする」
「確かにそうやってみんな人生をリセットしてきているのかもしれない。でも、私は、やっぱり立木さんが羨ましいな。離れても生きていれば、それでいい。私はもう母には会えないんですもの。それにしても家族のことは難しいですね」
「うん。そうだね。もう、そういう難しいのが嫌で、できるだけ誰にも影響を与えないように生きてきたんだけど、美恵子さんと手紙のやりとりをするうちに、それも違うのかなって思ってきたところです」
「そういえば、私は美恵子さんのことをミーコおばあちゃんって呼んで、ミーコおばあちゃんは、私はをミコちゃんって呼んでたんです。私達、美しいっていう字と、恵っていう字を入れ替えるとお互いの名前になるんです。ミーコおばあちゃんは、私に、“あなたは、恵まれて美しくなる子”。自分は、“美しく生きないと恵まれない子”。だから、ほんとは、あなたみたいに人を助ける人にならなきゃいけなかったの、って言ってました。
立木さんのことも、きっと助けたかったんですね。
あ、そうだ。ごめんなさい。手紙渡してなかったですね。
はい。これ」
カバンからミーコおばあちゃんの手紙を出して立木さんに手渡した。
「手紙」後編へ続く
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