映画監督の岩井俊二さんが好きで、岩井作品には特別の感情を持って接しています。少し前の作品で「Last Letter」が日本で公開されましたが、岩井さんは、同じシナリオで中国のファンに向けて「你好之华」(日本向け題名:チイファの手紙)という作品も作りました。同じ監督が同じシナリオで日本向けと海外向けに作品を作るというのは、すごく珍しことだと思います。「Last Letter」と「チイファの手紙」両方見ましたが、このシナリオの空気感にあうのは圧倒的に「チイファの手紙」の方だと感じました。先週までアメリカのテレビドラマの「24」の日本版ドラマを放送していましたが、評論家の方が日本版ドラマの違和感について書いていて、アメリカドラマの銃や暴力、その緊張感を日本版で日本の景色の中で撮影しても、映像が日本の風景や文化になじまず、違和感になってしまうという内容でその通りだなと思いました。この「Last Letter」と「チイファの手紙」のシナリオも同じで、手紙とか姉妹とか、そういうのをモチーフにすると、どうしても背景として中国の割れた石の建物や、土や風の香りがする風景のほうが味わいが増しているように思います。岩井さんは、自然光をうまく使った映像美を作る監督さんなので、この光のある描写も「チイファの手紙」のほうが圧倒的にマッチしています。
今日は、「愛しい人へ 7」です。この「愛しい人へ」の第二章をはやく一段落して、他の短編を書きたいと思うのですが、筆が遅くてすみません。「愛しい人へ 7」は、ミイナの場面です。音楽は、なんとなくミーナっぽい曲、Coccoで「Raining」と、ベッドの中でのシーンにはLovepsychedelicoの「Last Smile」をお楽しみください。
ぼんやりとしたランプの光が、いくつもの束となり部屋一面にからみあっている。
ベッドの上から見える夜景は、宇宙の果てを描いた抽象画のように限られた窓というキャンパスの中で非対称系の球面を浮かびあがらせている。備え付けの家具がゆがみ、空間そのものがよじれている。ただ、ベッドのきしむ音だけが静寂の中にこだまし、その音にシンクロするように空間が踊っている。
白い壁にかかっている、たぶん、ケンドールのものと思われるカラフルなイラストの中のインコが銀色の額縁を抜け出して羽を広げて舞っているように見える。赤が白に重なり、青が黄色に重なり、それらの輪郭をよじれた光の線がなぞっている。ここの色彩は重なりあいながらも、お互いに交じることなく、光の色の境界線がただ、それぞれの領地の分量を変えているにすぎなかった。歪みながらもマジ合わない色彩、そして、今の、妙にしっかりした意識は、これは、ドラッグのせいじゃないという証明には十分なことだった。すべてが明白な現実の中にある情景だった。私に何が起きているんだろう。まさか、と思いながらも、そしてその一つの事実を否定したくても、もはや否定することができぬほどの大粒の涙が頬をつたって落ちている。光の糸を引き連れた涙は、真っ白なシーツの上に落ち、シーツの下にひかれたマットのピンク色を映し出す小さな染みを作った。
私は、今、泣いているんだ。私にも、まだ涙なんてあったんだ。ミイナは自分自身に屈服してはじめてその事実を認めた。驚きだった。そして、こんなにも冷静に涙を流している自分が悲しかった。子供の頃の涙はこんなんじゃなかった。やり場のないくやしさや、悲しさで、心の中を一杯にして頭を真っ白にして泣いたものだった。大声をだして、そして、泣き止むまですべての時間を停めて泣いていた。小学校の友達にいじめられて泣いた。泣き止んだあともヒクヒクと体を震わせて、話すことができるまで、かなりの時間が必要だった。理不尽なことでいじめられ、誰にも悲しみを伝えられず、膝をかかえて泣いていた。家に帰って、飼っていた犬のペリーとおばあちゃんだけが話し相手だった。中学校の時に、ペリーが死んだ。一週間も、二週間もずっと泣いていた。
高校の時、一番の話し相手のおばあちゃんが死んだ。医者である父親は、苦しんでいるおばあちゃんを、大丈夫だよと家に置いたまま、忙しそうに勤め先の大学病院へ向かっていった。おばあちゃんが、あまりにも苦しそうだから、救急車で搬送したけど、病院についてほどなくして亡くなった。父親は大学病院で他人を助けていて、おばあちゃんが入った病院に駆け付けたのは次の日だった。仕事が大事。そういう人だった。
私は、あの時、涙を枯らして、それ以来感情も失った。母親は自分の無い人だった。父親の気分をうかがい、指示に従い、父親にべったりだった。そんな母親がどうしても好きにはなれなかったし、母親も、父親の言うがままに、深い感情もなく私の面倒をみているように感じていた。友達も、犬も、おばあちゃんもいなくなり、ひとりぼっちになってしまった私は、あの日から笑うことも、泣くことも、自分の意見を言うこともなくなった。母親と同じように、私も自分の意思を失った。同時に希望というものがなくなってしまった。
友達も、話し相手もいない私は、勉強することが苦にはならなかったし、一人部屋の中で勉強をしている時だけが、外の世界を遮断して、何も考えないですむ一番幸せな時間だった。勉強はすれど、何ら目的も、目標もなかった。勉強をすることで、一人の世界に閉じこもり、ただ、親に薦められるまま、志望校を決めて大学の医学部に入った。医学なんて興味なかった。親が医学部を受けろと言ったので受けただけで、何もしたいことが無かったので、何でも良かった。医学部の勉強は忙しく実験も多いからということで、ひとり人暮らしが許された。もっとも、父親も母親も、私が家にいることには興味がなかったんだと思う。私には良くできた妹がいる。愛嬌があって誰にも愛され、彼女は両親に愛されていた。父親と母親と妹という家族の家に私がわりこんで居候しているような家だった。だから、感動もないまま大学に入って、比較的に簡単に家を出て一人暮らしをはじめた。
大学に入って、はじめて外の世界と接点が生まれた。私の内面は何の変化もなかったが、一つだけ変わったことといえば、私は、外の世界での表情を作ることができるようになった。とぎれた感情を取り戻すことはできなかったけど、人とうわべだけの付き合いができるようになっていった。
でも、もう半年も大学の授業にでていない。
そして、今になって涙が出てきている。
この涙は昔の涙と違う。心は冷静のまま、でも、もっと深いところにある水源から流れているように感じる。悲しみ?後悔?なんで涙がでてくるんだろう。心が止まっているのに涙が湧き出てくることが不思議でならない。
ミイナは、自分の中で何かが変化している事を感じ取っていたが、理由がわからなかった。
男の硬い髪の毛が胸の上でうごめいている。彼の厚い手はあまりリズミカルでない動きで、腰のあたりをまさぐっている。私はこの男に興味はない。友達とも言えない。こんな男となんで寝てしまうんだろう。そもそも、今まで、どうでもよかったのになんで、今日はそんなことを考えるんだろう。一緒に飲みに出かけて、ベッドに誘われるまま寝てしまう。上質のワインをちびりちびり飲むところや、人生についての長い話し、どうでもいい車の話し。全部が嫌なところ。吐き出したくなるほど、嫌いなところばかり。なのに、なんで私はこんな男と一緒にいるんだろう。そういう事ばかり続けている。寂しさのためじゃない。時間を埋めるためでもない。まして恋なんかでは到底ない。空虚な心を癒すため?そんなことでもない。そんな心の病気なんか持ち合わせていないはず。ただ、自然に見えない力に流されるように、こうして抱かれている。学校に行って勉強をすれば心も落ち着くような気がするけど、行かないのは、怠惰だから?それとも親への復讐心?親に言われるままに生きてきたことへの反発?何が私を動かしてきたのかわからない。
ミイナは、自分の心が色彩を持ち、動きはじめているのを感じた。
男は唾液で私の首筋を汚しながら、その口を話そうともせず私を抱きしめ、しきりに足をからめてくる。私の肌の細胞の一つ一つが悪寒を感じ、呼吸を閉じている。私の頭と体は別のところにあって、こんなにも冷静に泣いている。
男は、私の涙に気づいていない。今は、愛撫に夢中になっているのだろう。全身の重みをのせた筋肉質の肩が喉元を圧迫している。
片隅の闇の中でテレビが窓の外からの軽い光を反射させている。部屋全体の空気が重くて、サイレンの音が夜の空にこだまし憂鬱な夜をさらに現実に近づけている。
「ねえ、苦しい。もうやめて」
「え?どうした、突然」
「うん。ちょっと具合悪い。今日は帰りたい」
「急にどうしたんだよ。まあ、いいけど。あれ、おまえ、泣いてんの?」
「苦しかったから」
「ふーん、なんか今日はミイナらしくないな」
「どこが?」
「いつも、もっと積極的じゃん」
「、、、」
「なんだよ、なんか怒ってんの?」
「別に怒ってない。気分悪いだけ。シャワー浴びてくる」
ミイナは、バッグを持ってシャワー室に入ると、携帯を取り出した。なぜか、あの人を想いだす。あの人に会いたい。すごく会いたい。人にこんなに会いたいと思うのは、おばあちゃんと別れてから初めてかもしれない。私はどうしちゃったんだろう。ミイナにはそれも不思議なことだった。
イクミのアドレスやIDを削除してしまった携帯を眺めて、胸がちぎれそうな気持になっていった。
愛しい人へ 8へ つづく
ご老人向けの大きな字の読み物です。ご活用ください。
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