コロナ下でオリンピックをやるべきか、どうかという議論が高まってきました。私は、ずっと、やるべきと考えていたものの、最近は、やるべきだけど、”できない”んじゃないかって思うようになってきました。コロナがおさまらないからというよりは、本質的な実力不足で、できないのではないかと。今の日本は、政府ガバナンス、IT技術、想像力・創造性、医療機構などに問題があり、国家プロジェクトをうまく動かせる状況にはないのかなと感じてます。
先週、最近本屋さんに大量に積まれている東野圭吾さんの「白鳥とコウモリ」と、町田そのこさんの「52ヘルツのクジラたち」を読みました。どちらも、引き込まれて一気に読んじゃいました。まだ梅雨じゃないですが、コロナの梅雨は家に籠って読書三昧もいいかもしれませんね。
さて、また、時間があいちゃいましたが、「憲一」の後編です。音楽は最初に2曲、最後に2曲ご紹介します。今回の音楽は、小説の中で挿入します。ちなみに最初の曲はSPECTRUMの「Passing Dream」です。古いのでいい映像のものがないのと、好き嫌いが別れる音楽だと思いますが、このグループの音楽性はとっても高くてて、時代が経過しても色褪せないなーと思います。
僕の“大丈夫”という簡単な返事を聞くと、おかあさんは、テレビに集中しはじめる。鶏肉を頬張りながら、テレビに向かって「たしか、この人の娘さん、外人と結婚して今アメリカに住んでるのよね。」と言う。僕に話しているのか、テレビに向かって独り言なのかわからない。おかあさんは、芸能人の家庭事情にやたら詳しい。きっと、僕の事より詳しいんだと思う。
テレビがコマーシャルになった時に、僕は、話しかけてみる。
「リトルリーグの野球チームがあるんだけど、入っていい?」
「野球? 駄目よ。あなた体弱いでしょ」おかあさんは、一瞬、僕を見て答えたあと、またテレビの方を向いた。僕のお願いは瞬殺された。
「体弱くないよ 僕できるよ」
「また、風邪ひくでしょ。野球は駄目」今度は、テレビに顔を向けたまま答えた。
「サッカーだったらいい?」
「サッカーも駄目」
「じゃ、何だったらいいの?」
「そんな特別なことやらなくても、友達と遊べるでしょ」
「友達も、野球とサッカーのチームに入りだしてるんだ。僕だけになっちゃう」
「みんなが入っているわけじゃないでしょ。入らない友達と遊びなさい。とにかく駄目」今度は僕を見て言った。お母さんがそういうと同時に、テレビのCMが終わって番組が再開された。
今朝は,少しウキウキして家をでた。今日は、夏休みの宿題でやった自由研究の発表会がある。僕は、夏休みを使って、テレビのニュースで見たイスラエルとパレスチナの戦争についてまとめた。テレビの中で、砂煙が舞ってたくさんの人が死んでいる。今、地球の別なところで、こんなことが起こっているんだとびっくりした。テレビから目を離すと、そこには、いつもの僕の家がある。テレビの向こうでは、家が破壊されている。なんで、そんなことがおきるのか知りたかった。そしてどうすれば、それぞれの国が仲良しになれるのか知りたかった。それで、夏休みの自由研究は、これに決めた。
インターネットで調べ初めると、いろいろな事が書かれていた。調べてみても、どっちが良くて、どっちが悪いか、良くわからない。もうこのケンカは100年以上続いているらしい。最初に土地を取っちゃったんだから、イスラエルが悪いように思った。だけど、そうなるには、ユダヤの人々に悲しい出来事があったこともわかった。
夏休みの間、一つのことを調べてわかったら、憲一のところにいって、憲一に教えてあげた。「最初のイスラエルの王国って紀元前995年にできたんだって。紀元前995年って今から3000年も昔のことなんだよ」とか「また、爆撃があって何人も死んじゃったみたい。憲一は、どうすれば戦争が終わると思う?」とか。憲一は、いつも、口を少しあげてベロをだしながら、潤んだ眼で僕をみつめて聞いていた。僕が話し終わると、首を縦に揺らし、うなずいたり、安心したように寝転がったりしていた。夏休みの憲一との会話は,こんな感じで、主にイスラエルとパレスチナの話しだった。
夏休みをそんな感じに過ごして、自分では、ずいぶん、色々なことを、知ることができたし、まとめて書くことができたと思う。最初のページに”イスラエルとパレスチナについて“っていう題を書いた時は、なんだか、大人になったような気がした。今日は、その自由研究を持って学校に行く。みんなが、すごいね、ってびっくりする顔が浮かんで、学校に向かう足取りが軽かった。
「なので、イスラエルは攻撃をやめて、ガザ地区をアラブの人に返して、エルサレムは、みんなの場所として特別なもうひとつの国を作ればいいと思いました」教壇から、僕は最後の一言を発した。何人かは、ノートに落書きをしていたけど、結構、みんなが聞いてくれていて、すごく、嬉しかった。
先生が、隣にやってきた。
「はい。山岸、ありがとう。どうして、これを調べようと思ったの?」
「テレビで見たからです。」
「どうやって調べたの?」
「インターネットで調べました」
「山岸のお父さん、テレビ局の人だよね。お父さんがずいぶん手伝ってくれた?」
「いや、僕一人でやりました」
「お父さんが、この題材がいいって選んでくれたんでしょ」
「お父さんが選んだんじゃありません」
「でも、ずいぶん書いてもらったんでしょ」
「おとうさんは、書いてません」
「山岸、自由研究っていうのはね、自分で考えてやるから自由研究なんだよ。他の人にやってもらったら意味ないんだよ」
先生がなんでそんなことを言うのか良くわからなかった。さっきまで、”山岸、すごい!”っていう感じで僕を見てたみんなの表情が、怖い顔に変わって僕を見ていた。僕は、だんだん怖くなってきたし、頭の中が真っ白になってきた。
「僕、自分で調べて、自分で書きました」
「先生、今、自分でやらなきゃ自由研究じゃないっていったけど、家の人に少し手伝ってもらったっていいんだよ。ただ嘘を言って隠すのは良くない。先生は、いつも嘘を言わないように言ってるでしょ。嘘をつくことはほんとうに良くないことだよ」
「嘘なんかついてないもん。自分でやったんだもん」涙で目の前が揺れている。
「うーそつき。うーそつき」教室で何人かが声を合わせはじめた。僕は、嘘なんかついてない。涙が大量にあふれてきた。
声がどんどん大きくなる。教室にいる、ほとんどの男の子の合唱になった。
「僕は、うそつきじゃない!」大きな声で返すと、頭が真っ白になって、ヒクヒクと泣きじゃくった。ズボンからも暖かいものが流れていった。それを見た、みんなが、「おーもらし、おーもらし」と歌詞が変わっていった。
先生が、「もういい、もういい、みんな静かに。保健委員、誰だっけ? 今田か、おまえ、山岸を保健室に連れてってくれ」
廊下に出ると今田君は「チェッ」と舌打ちをして、僕を見つめた。保健室に向かう廊下を、今田君は何も話さず駆け足で歩いた。僕は泣きじゃくり、涙でぼやけた今田君の背が遠くに見えた。頭が真っ白になって、時間と時間の間に落ちてしまったようになって、何が起きたのかもよくわからなくなっていた。今田君は保健室のドアを開けると「先生、山岸漏らした」と大きな声で叫んだあと、鼻をつまみながら僕をみつめて、廊下を駆け戻っていった。
濡れたズボンとパンツを脱いで保健の先生に濡れたタオルで体をふいてもらって、学校のパンツとジャージに着替えたあたりで、ようやく体がヒック、ヒックするのがおさまった。保健の先生が「どうしたの? ケンカでもしたの?」と聞いてきた。僕は誰ともケンカなんかしていない。自由研究の発表の時に先生が僕の言うことを信じてくれなかった。僕は絶対におとうさんに助けてもらってなんかいない。でも、保健の先生には何も答えることができなかった。「友達にいじめられているようだったら、先生に言わなきゃ駄目よ。でも、男の子は、まずは、泣かないことね。泣かなければなんとかなるし、嫌な友達は無視すればいいわ。」
僕はいじめられてなんかいない。ただ、一人ぼっちなだけだ。
一時間ほどして、教室に戻ると、まだ自由研究の発表の続きをしていた。ちょうど、やっちゃんが、夏休みに作った木の船の模型をみんなに見せて説明をしていた。僕が教室に入るとみんなが一瞬僕を見たけど、無表情のまま前を向いた。さっき起きた出来事は夢で、実際は何もなかったかのように感じた。先生も、僕には何も話しかけてこなかった。楽しみにしていた自由研究の発表会は、こんな感じで終わった。授業の終わりのチャイムが鳴ると、みんな一斉に教室から飛び出した。
教室には、掃除当番と、僕だけになり、掃除当番の山田君たちが、何も言わずに机と椅子を運びはじめた。一緒に帰る人が誰もいなかったので、一人で教室をでた。後ろのほうで、「ズル岸のおしっこのところ、気をつけろ」とか言ってるのが聞こえた。僕はおしっこは漏らしたけど、ズルいことはしていない。
帰り道、憲一のところに行った。
憲一の家の近くまで行くと、男の人が大きな声で怒鳴っているのが聞こえた。家の手間まで行って隠れて見つめると、ランニングシャツを着た”おじいさんに近いおじさん”が、憲一に向かって「静かにしろ、このやろう」と言って、憲一のご飯を入れる洗面器を蹴っ飛ばしていた。洗面器の中の残飯が飛び散った。憲一が悲しそうに、小さくワンと鳴くと、おじさんは、今度は、憲一を蹴っ飛ばした。憲一は「キャイン」と言って、その場に横たわってしまった。おじさんは、そのまま家の方に戻ると、それでも気分が悪かったらしく、家のところに落ちている酒瓶を「おりゃ」と言って憲一に向かって投げつけた。憲一にはぶつからず、瓶は地面に跳ねて割れてしまった。
おじさんが、家に入るのを見て、少ししてから、僕は憲一のところに行った。憲一は、横たわって頭をあげて、少し震えているようだった。悲しそうな目をしていた。僕は、憲一をなでてあげて、遠くに飛んだ洗面器を拾って、あっちこっちに飛び散ったご飯を入れて、憲一の近くまでもっていってあげた。
ガラスの破片もまじってしまうので、きれいなご飯は少しだけになってしまった。憲一は、ご飯を食べなかった。持ちあげていた頭を地面におろし、楽な姿勢で動かなかった。きっと蹴られた足が痛かったんだと思う。
「憲一、痛くない? おじさん、ひどいね」
「僕も、今日、学校で嫌なことあったんだよ。先生が、僕がずるいことしたって言うんだ。でも、僕はそんなことしていないんだ。それで、何がなんだかわからなくなって、漏らしちゃったんだ。でも、憲一の方が大変だね。こんなことするなんて、ひどいよね。ちゃんと歩ける? 僕はおうちに帰るけど、休んで良くなってね。ご飯たべなきゃ駄目だよ。じゃね、バイバイ」 憲一の頭をなでて、僕は家に帰った。
お漏らししたズボンとパンツをビニール袋に入れて、学校のパンツとジャージで家に帰ったので、お母さんから、「どうしたの、大丈夫?」と何度も聞かれた。僕は、「大丈夫、ちょっと漏らしちゃっただけ。宿題する」と言って部屋に入った。夕食の時も、同じように「大丈夫?」と聞かれ、同じように「大丈夫」と答えた。お母さんは、「だから、あなたには、野球とか無理って言ったでしょ」と、別な話題を持ち出してきた。「野球とは関係ないよ。それに野球はできるよ。リトルリーグは入れたら、ちゃんとできるよ。」と言ったけどお母さんは、「野球は駄目。あなたにはできない」と言って、また、テレビに目を向けた。先生も、お母さんも僕を信用していない。すごく悲しく夕食をすませた。
次の日、学校に行くと、僕の席がなくなっていた。探してみると一番後ろの一番端っこに変わっていた。前の席と、横の席と少し離されていて、上から見ると正方形に並んだ教室の机の一つの角が少し飛び出したような感じになっていた。「なんで、ここになったの?」と聞いてみたけど、みんな、僕に答えようとしない。目を合わせず、みんなが僕を避けるように離れていった。
それでも、みんなに近づくと「えんがちょ」って言ってみんなが散っていく。
やっちゃんがいたので、「どうして、席替えしたの?」って聞こうと思って近づいたら、やっちゃんも「わかんないけど、ずるいからじゃない」と言って廊下の方に行ってしまった。
それから一週間たっても、何も変わらなかった。誰も僕とは話さないし、近づこうとしなかった。授業の時、先生も、一度も僕をささなかった。たまに、ゴミが僕の机に入っているだけで、特別、意地悪みたいなことはされなかった。ただ、僕と話しをすると、おしっこ漏らしがうつって、ずるい子になるという”言い伝え”ができあがってしまっていた。僕は、教室の中でコロナ菌のような存在になっていった。
それから一か月たっても、何も変わらなかった。僕以外のところで時間が動いている。僕の近くは時間が止まり、僕は、だんだん僕じゃなくなっていった。
学校では、誰ともしゃべることなく、家では、お母さんの「大丈夫?」に「大丈夫」と答えるだけの日々で、話し相手は憲一だけだった。憲一は、おじさんに蹴られたあと、数日びっこをひいていたけど、今は、良くなってきたようだ。それでも、たまに白い毛に血がついていたり、割れた酒瓶と一緒に洗面器が遠くの方に飛んだりしていた。
今日、学校へ行くと、みんながざわざわしていた。浅見さんという女の子が机に入れておいた消しゴムがなくなったらしい。消しゴムといっても、浅見さん一人のものではなくて、みんなが、消しゴム落としゲームをする時に使うそれぞれ自慢の消しゴムを、浅見さんが、まとめて保管しておいたものだ。浅見さんというのは、クラスの中で一番かわいらしくて、みんなに慕われている女の子で、みんな、浅見さんの机に自分の消しゴムを保管してもらうのが、嬉しくて誇らしいことのようだった。もちろん、僕は、そんなゲームに入れず、近くで見ることも許されずにいた。
僕が席に着くと、いつもは無視しているみんなが一斉に僕を見た。すると、山本さんという女の子が僕のところにやってきて、「浅見さんの消しゴムとハンカチとか取ったでしょ」と言ってきた。山本さんは、僕より背が高く、バスケットボールがうまい迫力のある女の子だ。僕が、「取ってない」と答えると、山本さんが「掃除当番が掃除して帰るときに、山岸君、教室に入ってきたって言ってたよ」確かに、昨日は、憲一のところに行ったあと、筆箱を忘れたことを思い出して教室に戻った。「教室いったけど、取ってない」 「じゃ、ちょっとカバン見せてよ」と山本さんは、僕からかばんを奪い中から教科書やノートを取り出した。すると、かばんの底のほうから、なぜかハンカチが出てきた。
「ほらね。これ浅見さんのハンカチでしょ」山本さんは勝ち誇ったように僕を見た。
「僕知らない。取ってない」
「消しゴムは、どこよ?」
「僕本当に知らない。ハンカチも消しゴムも知らない」
突然、浅見さんが、「もういいよ。みんな、ごめんなさい。みんなの消しゴムなくなっちゃった」と言った。その一声をきっかけに、みんな、また僕を無視して、浅見さんの回りに集まって、これからの消しゴム遊びの相談をしはじめた。
山本さんも、僕を睨みながら戻っていった。
僕は、教室の隅にいたやっちゃんのところに行って、「僕は取ってない」と言った。やっちゃんだったら、信じてくれると思ったけど、やっちゃんは、「ずるいことするやつは信用できん」と離れていってしまった。今回は、涙もでなかったし、お漏らしもしなかった。ずっと、一人でいたから、頭が真っ白になる前に、そもそも頭と感情が空っぽになっていた。もしかしたら、無意識に僕がとったのかもしれないと思うくらいになっていた。
授業が終わって、憲一のところに行った。憲一の白い毛はより灰色になっていて、横たわってハーハーしていた。僕は、まだ学校に渡していない給食費があることを思い出して、いったんスーパーまで走って、水とコロッケを買って憲一のところに戻った。洗面器に水を入れると、憲一は、舌をだして急いで飲んだ。ボトルの1/3くらいの水がすぐになくなった。残りの水を全部洗面器に入れると、憲一は、それを全部飲みほした。「すごく、喉かわいてたんだね」と憲一に言って、次にコロッケを渡した。憲一は、ほぼ一口でコロッケを食べ終えた。「ご飯も水ももらえなかったんだね」
憲一は、悲しそうに僕を見た。表情を失った僕の顔も憲一には不思議に感じたかもしれない。
「憲一、二人で海に行かない?」
一瞬、憲一の目が生気を取り戻したように感じた。僕は、地面に留めてある棒から鎖を外して、憲一と家を飛び出した。
僕は憲一を救ったのに、憲一を盗んだって言われるんだろうなと思った。憲一は、びっこをひいていた。それでも、僕に鎖をひかれて、時折、嬉しそうに僕の顔をみながら、まっすぐ歩いていった。歩いて二時間くらいかかる海までの道はだいたいわかっている。途中、公園で休んだりしながら、ただひたすら歩いた。空気が湿っぽくなり、風が強くなってきて、だんだんと海の香がしてきた。僕は、何も話さず、憲一も何も話さず、まっすぐ前を向いて海までの道を歩いていった。
海に着いた時は、もう周りは暗くなっていた。海に着くと海の先まで伸びている防波堤に登り、その上を歩いて進んだ。昔、おとうさんと釣りをしたところなので、良く覚えている。
防波堤を途中まで行くと、金網で塞がれて、その先に進めないようになっていた。ただ、それでも釣り客とかが入り込むように金網に穴ができている。僕と憲一は、そこをすり抜けて防波堤の向こう側にでた。そこから先端まで30mほど歩いて海に伸びる防波堤の先端で座り込んだ。ここは、海の上に座っているような場所で、波が生まれてから岸に向かって大きくなって走っていく姿が良く見えた。遠くの岸には、ライトがきれいに並んでいた。
「憲一、きれいだね」
憲一は、横になってハーハーしていた。
「疲れた?」
疲れてないよ。というような優しい目で僕をみた。
じっと波をみつめていると、だんだん夜が深くなってきた。
憲一がいなくなって、あのおじさんは、あわてているかな。
おかあさんは、心配してるかな、それともテレビを見ながら僕が帰るのを待ってるかな。
「憲一は、どうして生まれてきたんだと思う? ずっとひとりぼっちでしょ。僕もひとりぼっち。僕たちは、なんのために生まれてきたんだろう」
憲一は、僕の顔を見ながら話しを聞いている。
「僕は、コロナ菌と一緒なんだって。いない方がいいみたいにみんな言うんだよ。僕は、そんなことないって言うんだけど、じゃ、僕がいた方がいいのは、なんでなのかって思うと良くわからないんだ。」
「憲一もそうだよね。僕たちいなくなっても何にも変わらないもんね。憲一と二人でずっとこうしているほうがいいな」
僕は、暗い海を見ながら憲一と話した。すると、波の間が光ったように見えた。目をこらしてみると、次の波の時にまた波の中から光が放たれた。今度は、かなりたくさん光った。
波の中が青く光るのを見て、前に見たテレビ番組を思いだした。「憲一、あれは、イカがいっぱい波の中にいるんだよ イカがあんなに光ってるんだよ。すごくきれいだよね」
憲一は、青白く光る波を見て「ワン」と吠えた。
「きれいだな。海は気持ちいいね」
光る波は、本当に美しかった。
「憲一、僕もう帰りたくない。疲れちゃった。憲一も一緒に来る?」僕は立ち上がると、憲一も立ち上がった。僕の目と憲一の目が見つめ合う。憲一が、小さく「ワン」と吠えた。
まるで、「いいよ」って言ってるみたいだった。よろよろと堤防の先まで行って、鎖のついた憲一の首輪を外した。憲一は憲一の意思にまかそう。僕は、目をつぶった。頭の中にイカの群れと泳ぐ自分を思い浮かべた。そして、僕は堤防から海へ落ちていった。一瞬体に痛みを感じて、そのまま海の中を漂っていった。ゆらゆらとしながら、頭の中で思ったままのイカの大群と一緒に波に乗っている。憲一は、どうしただろうと思って見回す。憲一も少し離れたところで、イカと戯れている。そのあと、眠くなって真っ暗になっていった。
目が覚めると、僕は海岸の波打ち際で倒れていた。濡れた砂の上に横になって、救急隊の人が手当てをしてくれている。まわりに、いろんな人が集まって僕をみつめている。
すでに夜は明けて柔らかな朝日が海岸を照らしていた。
僕は海岸の先の方に目を向けると、白い犬が一匹、同じように倒れている。「憲一!」と声を出そうとするけど、声がでてこない。憲一は、海岸にうずくまり、ここからでは、生きているのか死んでいるのかわからない。「憲一を助けて!」と言わなきゃと思っても、うまく声がでてこない。憲一はピクリともしていない。やっと憲一って言ったあたりで、僕は、また気を失った。
気が付いたのは病院のベッドの上、それからお母さんと荷物をまとめて、やっと家に帰ってきた。お母さんとお父さんには、すごく怒られると思っていたけど、怒られることはなかった。逆に、前より少し優しくなったような気がする。そして、おかあさんは、得意の「大丈夫?」が減ってきた。
「ご飯できたわよ」今日もおとうさんは、仕事のようで、おかあさんと僕二人分の料理しかのってない。
「お父さん、部署変わったから、来週くらいから早く帰ってこれそうだって。もっと早く、そうしてくれたらよかったのにね」 お母さんは、最近はテレビをつけないで、僕に向かって話しかける。
「そうなんだ。じゃ、3人でご飯食べられるね」僕が言うとおかあさんは、少し悲しそうな顔をしてティッシュの箱からティッシュをつまみ出して、いや、つまみだしてというより、数枚をつかみ出して鼻をかんだ。
「お母さんも、ちょっとパートに出ようかしら。昼間、家にずっといても良くないしね。いいかしらね」
「いいんじゃない」僕は、お母さんが働いてもいいと思う。
「あなたもリトルリーグ入ったほうが、、」お母さんは、言い終える前に、また大量のティッシュをつかみ鼻をかむ。花粉症がひどいのか、目も真っ赤になっている。
「え、入っていいの! やった! 僕がんばるよ」僕は、お母さんの言葉を先読みして喜んだ。
お母さんは、前より、自分のことを良く話すようになった。かわりに「大丈夫?」は減り、「あなたは、弱いから駄目」ということも、テレビを見ることも減ってきた。ただ、少し、ぼーっとする時間が増えているように思う。
久しぶりに学校へ行くと、学校の方は、あまり変わっていなかった。
おかあさんが、「クラスのみんな来てくれたのよ」と言っていたので、僕が病院でまだ意識が無い間、みんながお見舞いに来てくれたらしい。それを聞いて、すごく嬉しかった。だから、教室に入ったら、「あ、山岸が来た」とか言って、みんなが僕の回りに集まって、ハグとかしてくれるところを想像して、すごく楽しくなった。今日、久しぶりに学校に来るのが楽しみだった。
でも、僕が教室に入ると相変わらず、みんなよそよそしくて、もしかすると、あとから驚かすドッキリのためにみんな僕を無視してるのかなとか思った。でも、すぐに先生が来て授業がはじまってしまって、今日も、なんの変化もない、同じような一人ぼっちの一日だった。先生も特に何も言わず、授業も淡々と進んでいった。ただ、やっちゃんが、休憩時間とか、給食の時間とか、たまに、角にある僕の席にきて、小さい声で「元気か」って背中を叩いてくれた。いつも、椅子の背中のところに手があたって、パチンという音がした。
授業が終わるチャイムが鳴ると、みんな、急いで帰っていった。僕は、やっちゃんとかと一緒に遊びたかったけど、気づいたら、やっちゃんも、みんなも、教室から飛び出して見えなくなっていた。校舎を出ると校庭にも、みんなの姿は無かった。
僕は一人で学校をでると、あの海岸での朝の光景が思い浮かんだ。遠くで横たわってピクリともしない憲一が見えた。
憲一はイカが光る海に入っていったんだ。僕は気を失っちゃってイカが光る海の世界がどんなだか、見ることができなかった。憲一は、見えたんだろうな。少しだけ、憲一がうらやましく思った。同時に、もう憲一に会えないことに、急激な悲しみがやってきて心がぶるぶると震えた。憲一がいないと、僕は一人ぼっちになっちゃう。
憲一のことを想って歩いてるうちに、自然と憲一の家前の道を歩いていた。道から少し入り、憲一の家へ入っていく。
夕方の日差しをあびて、暖かい風が流れている。憲一がいた場所は、風で雑草が揺れて、あの、洗面器がまだ置いてある。家の周りのお酒の瓶は片づけられて、前よりもきれいになっている。何もなかったように、そして、もともと誰もいなかったように、静かに時が流れていた。
と、突然、家の裏から憲一が現れた。三十歳くらいの綺麗な女の人がリードを引いている。首輪もリードも、新品ですごく軽そうだった。横には、旦那さんだろうか。男の人も一緒にいる。
憲一は生きていたんだ。イカのいる海から出てきたいんだ。憲一と目があった。憲一は、僕を見つけ、大きな声で「ワン、ワン」と吠えた。そして、少しだけ二本足で立ち上がって、その二本足をおろしてから、くるくる回って、尻尾を大きく揺らして、また「ワン、ワン」と嬉しそうに吠えた。僕を見つめる憲一の目は、喜びにあふれていた。
憲一は、女の人の持つリードをひっぱって、こっちにこようとした。
「ペリー、ペリー、急にどうしたの? ダメでしょ。何? そっち何もないでしょ」
女の人は、そう言いながら、憲一にひかれ僕のほうに向かってきた。憲一は、僕をみつめたまま一直線に来て立ち止まって横たわると、「クーン、クーン」と初めて聞くような甘えた声をだした。
「ペリー、どうしたの? ここ好きなの?」女の人は横たわったペリーのお腹をさすりながら話しかけた。「どうしたのかしら、何か見てるみたい」女の人は、男の人に言った。
「ペリー、あなたは、このおうちから離れて私のところに来るけど、いいわね。家で子供たちも楽しみに待ってるから、早く帰ろうね」
「おねえさん、憲一を連れて行ってくれるんだ。憲一、良かったね。前のおじさんより、こっちの人たちのほうが、ぶったり、蹴ったりしないで、面倒みてくれるよ。僕も会いに行っていいよね」
僕は、憲一の目をみつめて言った、そして、女の人に向かって「ペリーじゃないよ。憲一っていう名前。こいつは憲一って名前が好きなんだよ」って言った。
女の人から答えは無かったし、僕を見ることもなかった。
「パパ、この家の人にご挨拶終わったの?」
「ああ、大丈夫。動物を虐待するような人には見えなかったけど、やっぱり犬には全然興味ないみたい」
「近所の人が通報してくれてよかったね。ペリーと出会うきかっけになったしね」
「ああ、でも、もらううけることにした後にあんな事件があったから、びっくりしちゃったよ」
「うん、ペリーは強いね」
「うん。海に落ちた子供を助けるために、波の高い海に飛び込んで泳いで岸までひっぱってきたんだよ。立派なもんだよ」
「でも、そのお子さん、結局、助からなかったんですってね」
「そうみたい。残念だけど。ただ、ペリーが助けなければ、そのまま、波にひっぱられて沖に流されて見つからなかったかもしれないからね」
「そうね。でも、ペリーもがんばったのに残念だったわね」
僕は、少し驚いた。すると体が軽くなって風船みたく、浮かび上がった。横たわっていた憲一が立ち上がって、少し高くなった僕に向かって「ワン」と吠えた。憲一が少しずつ小さくなっていく。
僕は、今、さわやかな風に乗っている。
「憲一」 おわり
2曲目は、1曲目のSPECTRUMのピアノを担当している奥慶一さんの「Paradise」っていう曲です。何十年かぶりにSPECTRUMを聞いてみて、郷愁を感じたのか、どうしても紹介したくなっちゃいました。憲一と僕が海に入って漂うシーンで感じてみてください。最初にも書きましたが、SPECTRUMは好き嫌いが分かれるグループだと思います。また、曲ごとにも、好き嫌いが分かれるように思います。もう何曲か聞いてみたいなという人のために、アルバム一枚がYoutubeにあがってましたので、最後につけておきます。ご興味を持った方は聞いてみてください。それで、3曲目は、ユーミンの「ひこうき雲」4曲目は、Eric Claptonの「Tears in Heaven」どちらも、子供を失くす悲しい曲です。最初に紹介すると結末がわかっちゃうので、今回は最後に紹介しました。そして、どれも名曲で、いくつもの思い出のある曲です。
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